美里町 「佐俣の湯」の紅葉(2020年)

2020年11月13日   美里町 「佐俣の湯」の紅葉(2020年)
 駐車場周りのバフウモミジが、紅に黄と色々な色が混じる綺麗な紅葉となっていました。土手のモミジも一番の見頃にはちょっと早い感じでしたが見頃となっていました。足湯の前に堅志田城主 西金吾之像があり説明がされていましたので紹介しておきます。
 「佐俣の湯」は泉質が肌がすべすべする感じで好きな温泉です。 
バフーモミジの紅葉
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土手のモミジの紅葉
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建物前のバフーモミジなど
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登仙 堅志田城主 西金吾之像 新型コロナウイルス下でマスクをしていました。
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 堅志田城跡は、国道218号線から白石野に向かう県道105号線に入って直ぐ西側に上り口があります。通るたびに行ってみたいと思っているのですが、行けていないので、説明文を紹介しておきます。
国指定史跡 堅志田城     平成18年1月26日指定
〈堅志田城〉                                      
 堅志田城は、美里町中郡に所在する山城と麓集落がセットになった典型的な中世の城郭です。別名を勢田尾城などともいい、平成18年に国指定史跡に認定されました。
 遺跡ば深い谷に囲まれた山の尾根に、削平された大小の平場(郭)を、堀切・土塁・畝堀などで防備し、柵列・家屋・門などの柱穴跡も確認されています。また、城下の谷の栫集落やその周辺には、大手・蔵前・倉御殿・味噌御殿・舞ノ御殿などの地名が残り、日常生活と防衛を兼ねた空間が想像できます。
 堅志田城は、中世阿蘇大宮司勢力圏が八代の相良氏、宇土の名和氏の領界と近接する地にあり、16世紀後半の肥後南部における戦国時代の歴史に、その名がしばしば登場する城です。
〈西金吾〉
 堅志田城の城主です。本名は西左衛門尉惟安(にしさえもんのじようこれやす)と伝えられますが、衛門の唐の官職名である金吾の名で後世まで知られた人物です。西氏は中世阿蘇氏の奉行人を出した家柄で、16世紀後期(天文後期から永禄頃)の城主とみられます。
 古老の伝承(『拾集昔語』)では、彼には並はずれた力があり、大石を持ち上げ、大木をおさえ、大寺の柱をゆすり、あるいは飛行の術をつかい、山伏姿で従者を連れ、ひと飛びで諸国に出かけたという異色の城主です。
 また、城下の拵(かこい)集落の梅林神社には、西金吾自作の金吾木像が納められていましたが、焼失したため、この姿を覚えていた地元の仏師が、慶長6年(1601)に再刻した木像が現在も納められています。』
場 所
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