鹿児島県出水市 出水麓武家屋敷群

2018年 5月11日   鹿児島県出水市 出水麓武家屋敷群
 薩摩藩には、領内各地に113(のちに102)もの外城(とじょう)と呼ばれる行政区画があり、城は造られずに麓(ふもと)と呼ばれる武家屋敷群が造られたそうです。出水麓はその中でも古く、1600年頃から約30年をかけて造られたそうで、関ヶ原の戦いに敗れ、国境の防備を図る必要があったのでしょう。
 出水麓武家屋敷群は、2つの武家屋敷が内部まで見学でき、他にも数軒見られる場所があるようでした。馬場と呼ばれる馬をつないだ道路は思ったより広く、整然と碁盤の目のような形で、所々にある武家門などを見ながら歩くことができました。
 駐車場のある出水麓歴史館がありますので、そこで概要を知り、案内地図などを入手した後に歩くと効率的に歩けそうです。
出水麓歴史館
 出水麓武家屋敷群に関する年表による説明や展示品、児請(ちごもうし)絵巻、下級武士の困窮に起因した仇討、地頭として出水兵児の育成、道路造り田畑の開墾などに功績を遺した山田昌巌などの資料の他、特別展か「薩摩日置流腰矢指矢展」(斉彬の遺志を継ぐ日本唯一の実践射法)も開催されていました。
 最初に行けばよかったのですが、一番最後になり早く帰りたいのもあってゆっくり見ることができませんでした。

画像 画像

画像 画像

公開武家屋敷「竹添邸」
 今で言う官舎のような家だったようです。家人の部屋に来訪者の上級武士と下級武士とに分かれた部屋など当時の武家社会が垣間見えるようでした。庭には、野太刀(薬丸)自顕流の体験道場、大刀洗なども見られました。

画像 画像

画像野太刀(薬丸)自顕流の体験道場
 明治維新で活躍した若き薩摩の志士たちが修練を重ねていた。桜田門外の変、寺田屋事件、生麦事件、戊辰戦争、西郷隆盛の側近達桐野利秋(人斬り半次郎)、旧帝国海軍 東郷平八郎元帥も門下生であった。
(流儀の特徴)
 相手を一撃で倒し、二の太刀を必要としない。腕と体で打ち下ろし、天地一刀両断する。・・・以下省略・・・』
画像

画像 
太刀洗とは、戦国時代の昔、血刀を洗うための大きな石作りの盥(たらい)のことです。この大型の石盥の周りにあった小型の水溜め用と思われる石の桶や、刀を立てかける為の石等を、野田町大宇上名字仮屋原の本田家のお屋敷跡から移築したものです。』

公開武家屋敷「税所邸」
 上級武士の屋敷だったようで、玄関や道路に沿って3つの部屋が部屋が並ぶ様子などに格式を感じるようでした。出水麓では最古の建物と言われているそうです。庭には、大きなモミジがあり、秋には綺麗な紅葉が馬場などの紅葉と共に楽しめるそうです。

画像 画像

画像 画像
竪馬場                                  鬼坂
画像 画像

出水御仮屋門  県指定文化財
 藩主の地方巡狩や、参勤交代の宿泊所である御仮屋の門だそうで、現在は出水小学校の校門となっているようです。
画像

中井勝郎美術古文書館(旧二階堂邸)
 西郷隆盛も宿泊した部屋も残されており、現在は個人の美術古文書館となっています。
画像 画像

宮路邸
 NHK大河ドラマ「篤姫」で撮影に使われたそうで、庭のみ公開で内部は見られませんでしたが、いかにも上級武士の家という風情でした。
画像 画像
                                       諏訪馬場
画像 画像

日本一のお地蔵さま
画像大正末期、西州(薩摩)高野山の熱心な信者、斑目日佛氏他5名によって、一刻三礼という密教の厳しい作法の中で刻まれた「放光王地蔵」だそうで、像高さ2.6mある「日本一のお地蔵さま」だそうです。

場 所
 次のトラックバックには、より最新の記事、ならびに関連する記事がリンクされている可能性があります。 トラックバックがある場合は、表題部分をクリックしそちらもご覧願います。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック