南阿蘇村 阿蘇大御神足跡石公園

2012年 7月22日   南阿蘇村 阿蘇大御神足跡石公園
 国道325号線沿いに「阿蘇大御神足跡石」があるとのことで訪ねてみました。阿蘇神話の中で阿蘇谷を開いた神として色々な神話が残されている健盤龍命(たけいわたつのみこと)の足跡石ということで、大石に窪みがあり、阿蘇大御神の足跡だそうです。その下には「女神」と説明された窪みもありました。ここで南阿蘇の開墾のため指揮をふるったのでしょうか?裏側には「鍬の跡」もあり、最初に神が振るった鍬の跡でしょうか?
 今迄も何度も高森町に行く途中通っている場所ですが、案内標識に気が付きませんでした。江戸時代に編纂された「肥後国誌」に書かれている大石が平成の時代に掘り起こされ見つかるとはロマンですね!
 地元の信仰としても長年敬われてきたものでしょう?言い伝えもあって、おおよその場所は分かっていたのではないでしょうか?
阿蘇大御神御足跡石
 この巨石は、江戸時代に編さんされた肥後国誌に「白川乾藪堂(かんじきどう)というところに、阿蘇大御神の御足跡石がある。」と記されておリ、古くから当地にあると言い伝えられた神様の足跡を、地元では平成十一年春の花見会で「その巨石と足跡を探そう」と盛り上がり当柳地区の住民にて掘削したところ、記録や言い伝えどおりの姿を現した。
 その記録には「四五尺計ノ石二両足揃テ深サ六七歩アリ、雨天の節、水溜ル事ナシ不浄ノ人近ク寄レバ崇アルト云」と記されている。霊験あらたかな石である。この足跡石は、阿蘇神社の守護神、健盤龍命が、南阿蘇の平定と開発を願いこの巨石に立って祈られたものと推それる。南阿蘇は地理的には、外輪山からの流水と、白川水源を初めとする多くの湧水が一級河川「白川」に注ぎ、この水が農業と地域開発に貢献している。
   所在地 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川西柳六九六 一番地』

道路側から
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御足跡                                女神(目があり、鼻があり、口がありかな?)
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駐車場側から
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鍬の跡                                   阿蘇大御神(健磐龍命)の系図
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阿蘇大御神足跡石公園    由緒(略)
 この巨石は健磐龍命の足跡が遺る国史にも登場する石である。阿蘇神社の御主神である健磐龍命(神武天皇の孫)は、一代神武天皇の勅命に依って九州鎮護の犬任に当られた。後に命は紀元七十六年春阿蘇に下られ、草部吉見神の娘阿蘇都比咩命を娶り、矢を放ち居を定められ、四方統治の大計を樹て阿蘇の国土開発の犬業を始められた。当時、大湖水であった阿蘇火口湖を立野火口瀬より疎通し、阿蘇谷の内に美田を開拓せられ、住氏に農耕の道を教えられた。  (七月二十八日の御田祭神事の起り)
   また歳ノ神を祭り(三月の田作神事の起り)、
   更に霜神を祭り (霜宮火たき神事の起り)、
   風神を鎮め給う (風宮社の風祭の起り)等、  国利民福の為に尽くされた。 
業成っては阿蘇山麓に大巻狩を行い鳥獣の害を除き(九月二十五日の田実神事に執行の流鏑馬の起り)祀典の範を定め庶民のために其の憂苦を除き給いて、吾が大阿蘇開発の先駆者として不滅の功績を遺された。是に土地開け住民この地に安住して今に至るまでその恩沢を享け皆夫々生業を営めるは命の偉大なる御事蹟に外ならず、洵に命の大業は吾ケ日本建国史に不滅の光彩を放つものと云うべきであり、現今国土開拓の神、農耕道の祖神として汎く世人の崇敬をうけ、十一世紀以降肥後一の宮と仰がれ、肥後の国熊本の総鎮守神として尊崇をうけている。国土開拓とは、ただ産業の振興のみならず、吾々人間生活に関わりある交通・文化・学芸・結婚・医療・厄除等の生活守護の神として限りなく御神徳をいただいている。』

場 所
国道325号線を南阿蘇村から高森町に向かい、「白川水源」への案内標識のあるT字路を通り越した右側にあります。裏側に駐車場も整備されています。
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