熊本市城南町 塚原古墳公園のコスモス(2011年)

2011年10月 6日   熊本市城南町 塚原古墳公園のコスモス(2011年)
 ここは不思議と3年間10月8日に訪ねていますが、いずれも見頃の花が見れています。まだ8~9分咲きかもしれませんが満開に近い花を見ることができました。今年は黄色のコスモスも植えられ、彩りを添えていました。
 古墳の周りの草刈り作業も進められており、芝生の上で家族連れで遊ぶこともできますので、週末には満開の花を楽しめると思います。

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古墳の風景
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熊本市塚原歴史民俗資料館と復元家屋
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塚原古墳群
 塚原古墳群は、熊本市城南町大字塚原にある県内最大の古墳群です。江戸時代の地誌「肥後国誌」や「肥後見聞雑記」には「塚原村に九十九塚有り・・・・・」と書かれており、その損沿いは古くから知られていたようです。特に昭和47年から始まった、九州縦貫自動車道建設に伴う事前の発掘調査で、全国的に知られるようになりました。 九十九塚の伝承は残っていましたが、この調査が行われるまでは、前方後円墳である琵琶塚古墳、花見塚古墳を中心とした10基程度の小さな古墳群と思われていました。
 しかし、調査か進むにつれ、地下に埋もれた102基(最終的には500基を超えると言われる)もの古墳が次々と見つかり、伝承を上回る大古墳群であることがわかりました。この占墳群は、数だけではなく種類や時代を異にする大小の古墳がーつの台地上で見られる特徴を持っています。
塚原古墳群の始まり
 塚原古墳群で最初に築かれたのは、方形周溝墓と呼ばれる古墳でした。方形周溝墓は、身分の差が見え始めた弥牛時代(今から約2000年前)に造られ始めた墓で低い盛土をもち棺を囲む周溝を持つところに、それまでの墓とは大きな違いがありました。
高塚古墳の出現
 塚原台地に方形周溝墓が築かれ始めてからしばらくたった頃、これと隣接して高い盛り土をもった古墳(高塚古墳)が現れました。台地北側一帯に見られる三段塚古墳を初めとする大型の円墳がこれにあたります。
前方後円墳の広がり
 大和盆地から宇土半島に入ってきた前方後円墳は5世紀の終わり頃になると塚原台地にも築かれるようになりました。まず琵琶塚古墳がやがて花見塚古墳も築かれ、台地南側一帯にこれらを頂点とする古墳群が出来上がりました。
塚原古墳群と磐井の乱
 石之室古墳や北原1号墳から発掘された横口式家形石棺や石製表飾(きぬ笠・盾)はそのほとんどが九川の西海岸に集中して見られるもので、特に九州最大の豪族だった筑紫君磐井とのつながりが強く感じられる遺物でもあります。おそらく磐井を中心に九州の豪族達が、大和朝廷に対し反乱を起こしたとき塚原古墳群を築いた人達もなんらかの係わりをもったのでしょう。
塚原古墳群の保存と活用
 先人が残してくれた文化遺産を未来の人々に伝承することは、私達に課せられた義務であり、それを活用することは、その存在を認識するために重要なことではないでしょうか。その意味からすれば、塚原古墳群の史跡公園化は大きな意義があると言えるでしょう。
 塚原古墳群は、昭和51年国指定の史跡となり保存され、昭和61年から史跡公園化の工事が始まりました。14万平方メートルにおよぶ公園内には復元された古墳や古墳内部の観察室・古墳の復元模型・出土土器のレプリカ・古墳時代の祀りを表現した石像群・竪穴住居などを各所に配置し、歩きながら塚原古墳群の様子がわかるような野外博物館としての活用が計られています。』

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