天草市 鈴木神社

2011年 3月 2日   天草市 鈴木神社
 天草・島原の乱後、初代代官となった鈴木重成公は、重税に苦しむ島民を救済するため自ら自刃し、幕府に石高半減を訴え、その後幕府から認められ、今でも天草の恩人として慕わています。
 本渡市内の国道沿いには3人の像も立てられています。
『天草島原の乱後ヽ天草は幕府の直轄地「天領」となる。初代代官には三河武士の鈴木重成が任ぜ`られ、兄正三と共に荒れ果てた天草の復興に数多くの治績を挙げた。当時天草の石高は四万二千石でヽ重成はその重税にあえぐ島民の苦しみを救うため一死を以ってその石高半減を幕府に訴えた。(時承応二年(一六五三)十月十五日自
刃年 六十六オ)二代代官鈴木重辰は養父の悲願実現に熱誠をつくし、万治二年(一六五九)天草の石高は遂に二万一干石に半減された。島民はその遺徳と善政の恩恵を永久に忘れまいと、島内各地に鈴木神社を建てて鈴木さまと尊び崇め祭った。ここ鈴木神社は正三、重成、重辰を祀るこれらの宗社である。境内には重成の遺髪塚や三公の事蹟を詳細に記した本渡市指定文化財・鈴木明神伝碑がある。』

画像 画像
重成公の遺髪塚
画像   画像
鈴木明神伝碑(天草市指定文化財)
『天草・島原の乱後天草は天領とな初代代官として着任した鈴木重成公は荒廃した天草の復興に全力をあげる。特に領民の苦しみを除くため石高(四万二千石)の是正を再三幕府に具申、遂に上書して自刃し幕府もその赤誠にうたれて石高半減を見るに至った。この碑は文化八年(1811)建立、撰文は魚沼国器、書は岡田芝山の手になり、鈴木重成・正三・重辰公の遺徳を長く後世に伝えている。』
画像   画像

画像 画像

すぐ近くにある本村神社
画像

本渡市内にある鈴木重成・正三・重辰公の像
 本渡市街の国道308号線沿いに平成19年というから、まだ新しい像が建てられています。
『農民は忘れない
 天草の乱で崩壊したこの島を、身を持って立て直してくれた、鈴木三公のことを
 この人たちのお蔭で、今私たちは命を得ている。報恩感謝の想いは、三百五十年の時空を経て、
 蘇った三公と共に、天草の永久の未来を築く
                           平成19年11月23日  鈴木三公像建立期成会』
画像
鈴木重成公
画像

         鈴木重辰公                       鈴木正三和尚
画像     画像


場 所 
 次のトラックバックには、より最新の記事、ならびに関連する記事がリンクされている可能性があります。 トラックバックがある場合は、表題部分をクリックしそちらもご覧願います。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック