肥後六花
肥後六花
肥後山茶花(ひごさざんか)、肥後椿、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔、肥後菊の6つを「肥後六花」と呼びます。
もともと細川家8代重賢(しげかた)のときに、武士のたしなみとして始められたもので、各々に花連と呼ぶ保存団体があり、門外不出として現在に伝えられています。
尚、下記にリンクしている検索結果には「肥後六花」以外の花も含まれていますので、ご了承願います。
肥後椿
自生の椿から改良されたものといわれ、宝暦年間(1751~1764年)に始まると推定される。
すでに文政12年(1829年)には、30品種もの詳細な内容が記録されている。西南戦争の兵火で多くが失われたが、その後再び盛んになった。
特に第二次大戦後、各地でブームを呼び広く海外にも知られ、世界の名花の一つとなっている。昭和19年熊本市の市花に選定された。
保護団体 「肥後椿協会」
特徴
花弁が大きく大輪一重咲き。雄しべは管状でなく梅の花のように梅芯状になる。この梅芯が大きく
整っているものは優品とされている。色は白、ピンク、赤、それに絞りになった錦などがある。
花期は2月~3月。
肥後芍薬
中国から伝わった薬用植物シャクヤクの園芸品を、肥後で種を選んで品種改良した。歴史は肥後六花の中では古く、宝暦年間(1751~1764)に始まる。その後肥後藩士中瀬助之進が「芍薬花品表論」を著して花壇作りの規則をつくり、同好会の手で多くの優れた花が作られた。現在は約30品種が残っている。
保存団体 「白蝶会」
特徴
蓮華咲きと呼ばれる一重咲き~三重咲きの大輪の花を開く。雄しべは花の中央に黄金色に満ちて盛り上がる。色は白、赤、ピンクなどがある。 花期は5月初旬~中旬
肥後菖蒲
自生種から作られた江戸花菖蒲を、さらに肥後で改良したもので、世界でも一級のアイリスと絶賛されている。天保4年(1833)当時の藩主細川斎護が江戸花菖蒲の美しさに感激、家臣の吉川潤之助をその創始者の松平菖翁に入門させて栽培を学ばせたのが始まり。以来鉢作り、座敷鑑賞など厳格な規則のもとに伝統を守ってきたが、現在では花壇植えも楽しめる。
保存団体 「満月会」
特 徴
花弁が大きく、幅広く、花芯が大きくたって、花の形が富士山形になる。花茎は短く、
葉の上にわずかに出る程度、色は白、紅、紫、藍などと、これらの絞りがある。
花期は6月上旬~中旬
肥後朝顔
熊本で作り出された洲浜性大輪朝顔の一原種で肥後六花の一つ。
小さな洲浜葉で、色彩に優れた筒咲き、花色は約四十品種。作り方は 子鉢に本蔓一本を伸ばす一幹作りで、他の地方に見られない独特なもの。
わが国各地で行われている大輪化への改良とは反対に、発生当時の花径 約13㎝程度そのまま、他品種との交配を避けて原種の形態を保っていることと、独特の作り方で有名。
『アサガオは、葉の表面に大小の白斑が入っているため、青斑入洲浜(あおふいりすはま)葉と呼ばれている。肥後におけるアサガオの発祥は、江戸時代であると思われるが、残念ながら今のところそれを実証する文献資料が見つかっていない。
アサガオは小鉢本蔓1本作りで親蔓を摘むことなく育て、鉢の高さの3~4倍くらいに開花させる。第一花は6~7節目に開花させ、第三花まで鑑賞し、特に鉢と茎葉および花のつり合いを考え、品位を重んじている。花は7~8月で、色は紅・桃・茶・青・白および黒味がかったものがあり、いずれも濁りがないことを大切にしている。また、葉の斑入り種は、花筒部が純白で濁りのないことを基本とし、大輪咲きでなくても古典的な技法を維持し、特有の美を醸し出すようにしている。』
肥後菊
江戸中期、藩主細川重賢が栽培を奨励したことに始まる。後に肥後菊中興の祖といわれた秀島七右衛門が文政二年(1819年)に「養菊指導車」を著し、独特の花壇作り栽培法が確立した。個々の花を単独で観るのではなく、花壇全体の調和した美しさ(花の大きさ、花の色、花の数など)を鑑賞する。
保存団体 「愛寿会」
特徴 花は一重咲きの薄物で、花芯が大きい。花弁は平たいものと筒状の二種で、色は紅、白、
黄の三系統からなる。花期は11月中旬から12月上旬

肥後サザンカ
肥後の名花(六花)のうちでは、最も歴史が新しい。明治12年(1879年)に同好団体「晩香会」の手で、肥後山茶花第一号といわれる「大錦」が作られた。サザンカはもともと県内に自生していたが、これは野生種から品種改良したものである。
保護団体 「肥後山茶花協会」
特徴 花は大輪で、大きなものは直径15センチメートルに達する。一重咲きが主だが、
八重咲きもある。雄しべは梅の花の芯のようになる。色は白、ピンク、赤、赤紫
紅白絞りなどで、開花は11月~12月。
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もともと細川家8代重賢(しげかた)のときに、武士のたしなみとして始められたもので、各々に花連と呼ぶ保存団体があり、門外不出として現在に伝えられています。
尚、下記にリンクしている検索結果には「肥後六花」以外の花も含まれていますので、ご了承願います。
肥後椿
自生の椿から改良されたものといわれ、宝暦年間(1751~1764年)に始まると推定される。
すでに文政12年(1829年)には、30品種もの詳細な内容が記録されている。西南戦争の兵火で多くが失われたが、その後再び盛んになった。
特に第二次大戦後、各地でブームを呼び広く海外にも知られ、世界の名花の一つとなっている。昭和19年熊本市の市花に選定された。
保護団体 「肥後椿協会」
特徴
花弁が大きく大輪一重咲き。雄しべは管状でなく梅の花のように梅芯状になる。この梅芯が大きく
整っているものは優品とされている。色は白、ピンク、赤、それに絞りになった錦などがある。
花期は2月~3月。
肥後芍薬
中国から伝わった薬用植物シャクヤクの園芸品を、肥後で種を選んで品種改良した。歴史は肥後六花の中では古く、宝暦年間(1751~1764)に始まる。その後肥後藩士中瀬助之進が「芍薬花品表論」を著して花壇作りの規則をつくり、同好会の手で多くの優れた花が作られた。現在は約30品種が残っている。
保存団体 「白蝶会」
特徴
蓮華咲きと呼ばれる一重咲き~三重咲きの大輪の花を開く。雄しべは花の中央に黄金色に満ちて盛り上がる。色は白、赤、ピンクなどがある。 花期は5月初旬~中旬
肥後菖蒲
自生種から作られた江戸花菖蒲を、さらに肥後で改良したもので、世界でも一級のアイリスと絶賛されている。天保4年(1833)当時の藩主細川斎護が江戸花菖蒲の美しさに感激、家臣の吉川潤之助をその創始者の松平菖翁に入門させて栽培を学ばせたのが始まり。以来鉢作り、座敷鑑賞など厳格な規則のもとに伝統を守ってきたが、現在では花壇植えも楽しめる。
保存団体 「満月会」
特 徴
花弁が大きく、幅広く、花芯が大きくたって、花の形が富士山形になる。花茎は短く、
葉の上にわずかに出る程度、色は白、紅、紫、藍などと、これらの絞りがある。
花期は6月上旬~中旬
肥後朝顔
熊本で作り出された洲浜性大輪朝顔の一原種で肥後六花の一つ。
小さな洲浜葉で、色彩に優れた筒咲き、花色は約四十品種。作り方は 子鉢に本蔓一本を伸ばす一幹作りで、他の地方に見られない独特なもの。
わが国各地で行われている大輪化への改良とは反対に、発生当時の花径 約13㎝程度そのまま、他品種との交配を避けて原種の形態を保っていることと、独特の作り方で有名。
『アサガオは、葉の表面に大小の白斑が入っているため、青斑入洲浜(あおふいりすはま)葉と呼ばれている。肥後におけるアサガオの発祥は、江戸時代であると思われるが、残念ながら今のところそれを実証する文献資料が見つかっていない。
アサガオは小鉢本蔓1本作りで親蔓を摘むことなく育て、鉢の高さの3~4倍くらいに開花させる。第一花は6~7節目に開花させ、第三花まで鑑賞し、特に鉢と茎葉および花のつり合いを考え、品位を重んじている。花は7~8月で、色は紅・桃・茶・青・白および黒味がかったものがあり、いずれも濁りがないことを大切にしている。また、葉の斑入り種は、花筒部が純白で濁りのないことを基本とし、大輪咲きでなくても古典的な技法を維持し、特有の美を醸し出すようにしている。』
肥後菊
江戸中期、藩主細川重賢が栽培を奨励したことに始まる。後に肥後菊中興の祖といわれた秀島七右衛門が文政二年(1819年)に「養菊指導車」を著し、独特の花壇作り栽培法が確立した。個々の花を単独で観るのではなく、花壇全体の調和した美しさ(花の大きさ、花の色、花の数など)を鑑賞する。
保存団体 「愛寿会」
特徴 花は一重咲きの薄物で、花芯が大きい。花弁は平たいものと筒状の二種で、色は紅、白、
黄の三系統からなる。花期は11月中旬から12月上旬
肥後サザンカ
肥後の名花(六花)のうちでは、最も歴史が新しい。明治12年(1879年)に同好団体「晩香会」の手で、肥後山茶花第一号といわれる「大錦」が作られた。サザンカはもともと県内に自生していたが、これは野生種から品種改良したものである。
保護団体 「肥後山茶花協会」
特徴 花は大輪で、大きなものは直径15センチメートルに達する。一重咲きが主だが、
八重咲きもある。雄しべは梅の花の芯のようになる。色は白、ピンク、赤、赤紫
紅白絞りなどで、開花は11月~12月。
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