熊本市 小楠公園

2019年 5月 7日   熊本市 小楠公園
 幕末の大思想家横井小楠をまつった公園が県道28号線近くにあります。公園内には横井小楠の遺髪が埋葬されたお墓と銅像があり公園となっています。
 横井小楠記念館は熊本地震で大きな被害を受けたようですが、9月20日より資料館のみ通常公開が再開されているようです。

お墓の案内杭に以下のような趣旨のことが記されていましたが、一部判読できず、原文とは異なります。
『文化元年(1809)生まれの肥後藩士、名は時存、小楠はその号である。天保十一年(1840)藩政改革を試みるが、実学を唱えたため、藩内では排斥されたが、越前福井藩では尊敬を一身に集め、幕府にもその意見が採用された。
明治新政府の参与となったが、明治2年1月5日京都で暗殺された。この墓は小楠の遺髪墓である。』
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syounan19050703.JPG横井小楠 像
『横井小楠先生は熊本の生んだ一大先覚である。藩学時習館の居寮長たること数年、命ぜられて江戸に遊学し天下の俊傑と交わって多くの稗益をうく。帰国後実学を唱え、次第に一世に卓立す。
 越前候松平春嶽、先生を聘してその教えをきくこと屢々、のち侯幕府の総裁職となるや先生はその顧問となって幕政の改革を行なう。たまたま刺客に襲われて遁れ、士道忘却のかどで世禄没収となり沼山津に隠栖す。即ちいまの四時軒趾である。
 明治維新後、召されて上京し、徴士、参与として出仕し、新政府に大いに経論をのべようとしたが、明治2年正月、退朝の途上兇刃に遭う、何たる痛恨事であったか。
 先生かって二甥渡米に送行の語を与えて曰く「堯舜孔子の道を明らかにし西洋機械の術を尽す、何ぞ富国に止らん、何ぞ強兵に止らん、大義を四海に布かんのみ」と、先生の曽志 見識の一端をここに見る。
 ことし先生没後百年にあたる。よって敬慕の誠を表して先生の像を建つ、後人この像を仰ぎ先生の名と志にふるゝを得ばわれらの大幸である。    昭和44年11月吉日』
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