宇城市 三角西港

2012年11月12日   宇城市 三角西港
 明治三大築港の一つとして造られた三角西港、往時はさぞやにぎやかな港だったことでしょう。公園として整備され、今でも見事な石積みの岩壁を見ることができます。復元された「浦島屋」は当時ハイカラなホテル?だったのではないでしょうか。いままでちらっと見ただけでしたので、ぐるっと見てまわりました。
 現地に説明されている案内板の内容を紹介しておきます。
昔の三角西港
 三角西港は、明治三大築港の一つとして、明治政府の国内統一、殖産振興の政策に基づいて建設された地方港湾の一つで、オランダ人水理工師ムンドルの設計によって明治17年から明治20年にかけてつくられた港。
 有明海に臨みながら、良港もない熊本にとって、港は江戸時代からの悲願ともいうべきで、築港にかける期待と、完成の喜びは数々の逸話に伝えられている。
 築港後、一世紀の歴史を持ちながら当時の都市計画がほとんど無傷のままのこっているのは全国的にめずらしく文化財的、国際的にも価値のある生きている港として、港町三角のシンボル的な存在である。』

画像浦島屋
明治26年7月22日、小泉八雲(ラフカデイオ・ハーン)が長崎からの帰途立ち寄り、「夏の日の夢」と題する紀行文の舞台とした旅館である。明治38年に解体され大連に運ばれたが、平成4年度、設計図をもとに復元された。
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富岡敬明翁像
 富岡敬明県令は、文政五年(1822)佐賀県の小城藩士神代次兵衛の二男として生まれ、のちに富岡家の養子となった。明治五年、山梨県の権参事となり、徳島県を経て明治九年十一月に熊本県権令に任ぜられた。明治九年十月二十四日に「神風連の乱」が起こり、相次ぐ戦乱で熊本は焦土と化した。その復興と難民の救済を課せられた敬明は一つの方策として港湾を建設することとした。当初は百貫石港を候補地としたが内務省から派遣されたオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルドルの現地調査、建言により、天然の良港三角に変更、明治十七年五月に道路工事(現在の国道五十七号)及び築港に着手、明治二十年八月十五日に開口させた。
 この三角港は明治二十二年には特別輸出港と認定され、熊本県の海の玄関として三角町のみならず熊本県の繁栄、発展の礎となった。ここに富岡敬明県令の熊本在任中の業績を讃え、その遺徳を後世に伝承するため建立したのがこの像である。』
画像龍驤館
大正7年、明治天皇即位50年記念事業として当時の宇土郡教育会が頌徳記念館として建てたもので、この地はかつての文豪小泉八雲ゆかりの「浦島屋」の跡地でもある。
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ムルドルハウス(物産館)
 地元産業の振興を目的に建てられたもので地元の伝統工芸品、特産品の展示販売をしています。

画像旧高田回漕店(町指定文化財)
 旧高田回漕店は、4隻の汽船を有し、荷物や乗客を扱っていた回船問屋である。熊本に本店を持ち、開港と同時に現在地に進出。建築年代は、明白ではないが明治20年代に建てられたものと考えられ、築港当時の面影を残す港湾施設の一つで、当時を知る貴重な建物である。
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ローウェンホルスト・ムルドル    1848-1901
オランダ人水理工l師
1872年デルフト工科大学を卒業。1879年に内務省土木局の一等工師として来日。1890年までの10年余り日本各地で治水、築港の計画、建設、指導に当たった。三角港も彼の指導によるもので、ふ頭壁の設計、背後地の都市計画までも彼の手になるものと伝えられている。
 この三角西港は、オランダ人土木技師ローウェンホルスト・ムルドルの指導により明治17年5月に始まり20年6月のまる3年を費やし完成された。

水理工師ムルドルの築港と街づくり
オランダ入水理工師ムルドルは、延長756mの石積埠頭の建設だけでなく、港全体をひとつの町と見立てた都市計画ともいえる街づくりもおこないました。石積の排水路や環濠、石の道路側溝や石橋、幅広の道路や整然とした区画街路などが整備された新しい町は、貿易都市としての活気にあふれていました。当時の三角の町では、埠頭沿いに倉庫群や回漕店、東地区には郡役所、裁判所などの公共施設、通り沿いには旅館や風呂屋、人力車や客馬車の立場(発着場)が並んでいました。

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三角築港記念館(旧倉庫)
 西港繁栄当時の荷役倉庫を修復し、西港築港の資料を展示しています。
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石積埠頭  730メートルにも及ぶ埠頭はすべてが石積です。


画像石積の水路 水路と環濠の2種類があり、水路の底辺も石張りです。

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アコウ(アコギ)[イチジク属]
オキザリスの花  旧裁判所(法の館)前の土手に咲き揃っていました。
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旧裁判所(法の館) 国道を渡って山側に上った所にあります。
 明治23年11月に西港中町に開庁、大正3年7月に現在地に新築移転しました。
 この法の館は、明治23年、三角西港の中町に裁判所として設立され、字土郡全部(3町、9村)、下益城郡内(2村)、天草郡(5村)の3町16村を管轄区域としていました。大正9年にはヽ現在地に新築移転され、現在まで裁判所、記録倉庫及び控室などが残っていました。
  平成4年、際崎区に再度移転するのを機に、町では旧簡易裁判所施設有効利用計画を作成し「法の館」として整備を図り、国際交流村のテーマである「明治の薫る港町」の一環として、町民の誇りとなる司法の中心地を再現し、法律の歴史、法律と我々とのかかわり、日常生活と法律が、だれにも理解できる場として整備を致しました。
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宇土郡役所跡
 この建物は明治三十五年宇土郡役所として建設された。開港地三角にふさわしい洋風建築で、天井は真白の漆喰で塗り上げる豪華なもので、県内第一の郡役所建築であった。郡制改革によって、大正十五年七月一日に郡役所は廃止された。その後三角町役場として使われてきた。町村合併によって役場移転し、昭和三十二年八月三角町立海技学院の校舎として利用されて今日に至った。両翼の会議室及び事務室は荒廃のためとり壊されて、正面のみが昔の面影を残している。
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天草五橋・一号橋画像
皇帝ダリア まとまって綺麗に咲いていました。
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場 所

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