江戸城 皇居-2

2019年12月 9日   江戸城 皇居-2
 二重橋から来た道を坂下門へと戻り、富士見櫓と桔梗門・巽櫓、大手門を見ながら、濠の北東側まで歩きます。
紅葉もまだ見られましたが少し遅い感じです。
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坂下門 宮内庁等へ行かれる人でしょうか?入場されていく方々が多かったです。
坂下門
 門の名は、西の丸から低地に下りる坂下にあることに由来します。この門は、江戸城西の丸造営直後に築造され、江戸時代は木橋が架かっていましたが、現在は土橋となっています。現在、正面から見ると渡櫓門があり、本来は高麗門を備えた枡形でした。1887年(明治20年)に高麗門が撤去され、渡櫓門を現在の場所に設置しました。
 現在の皇居外苑は、江戸自体は西の丸下と呼ばれ、幕府老中などの屋敷がありました。明治維新後は一時、明治政府の官衛・兵営に利用されましたが、明治10年代以降、広場として整備され現在に至ります。』
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富士見櫓と桔梗門・巽櫓
富士見櫓
『初代の櫓は加藤清正が築いたとされる石垣に慶長11年(1606)に三層の櫓を建て完成しましたが、明暦の大火によって類焼し再建した後は天守閣の代用として使用されていました。一般的な櫓と違い、四面各階共に窓があり、どこから見ても正面に見える事から「八方正面櫓」とも呼ばれています。』(一般財団法人国民公園協会HPより引用)
tokyou19120930.JPG桔梗門
『この門は、江戸城本丸南側の通用門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登城の門でした。門の警護は6~7万石の譜代大名があたっていました。内桜田門とは、外桜田門(現在の桜田門)に対しての呼称ですが、江戸時代から桔梗門という別称が用いられていました。門は1614年(慶長19年)に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣は1620年(元和6年)に造築されています。現在も手前の高麗門と右手の渡櫓門からなる枡形が残っています。』
 この門は、大手門が大名などだったの対し、旗本や商人などが通行する虎口として使用されていたようです。現在は一般参賀や皇居参観の際に利用されているそうです。
tokyou19120928.JPG巽(たつみ)櫓
『旧江戸城三の丸の東南(巽)側にあることから「桜田巽櫓」と名付けられ、全国でも最大級の二重櫓である』
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巽櫓側から
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 ここから北へと堀沿いを行きます。
大手門  『本城への正門として大名などが登城する為に使用』していたそうです。
大手門
 この門は、江戸城本丸登城の正門で、城門警護は10万石以上の譜代大名が務めていました。門の建設は1606年(慶長11年)に藤堂高虎が行ったとされ、1657年(明暦3年)明暦の大火で焼失した後1659年(万治2年)に再建されました。
 現在の門は、手前の高麗門が1659年、渡櫓門は1966年(昭和41年)に再建された建築物です。門内には「明暦三丁酉」の記銘がある旧大手門渡櫓の鯱が置かれています。』
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tokyou19120932.JPG大手濠沿い  サザンカも見頃に咲いていました。
tokyou19120933.JPG北東側の角
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平川橋とお濠(北側)
tokyou19120936.JPG平川橋
 1614年(慶長19年)に初代の橋が架けられ、度々改修が行われました。現在の橋は1988年(昭和63年)に造られた美しい木橋です。
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平川門
 1635年(寛永12年)に枡形櫓門と番所が造営され高麗門を含めて平川門と呼ばれているようです。
『三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口であった。奥女中の通用門として「お局御門」、死者や罪人をここから運び出したことから「不浄門」の異名を持つ(ウィキペディア引用)』ということです。
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北側濠から平川門(竹橋付近から)
 この角から平川門まで地続きとなっていますが、江戸城の遺構として残っているのでしょうか?
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tokyou19120942.JPG竹川橋の案内
『竹橋御門は、旧江戸城内曲輪15門の1つで、天正18年徳川家康江戸入国の頃、「竹を編んで渡されしよりの名なり」と、その由来が伝えられているが、他にも諸説あり、竹橋の架設時期と併せ、いずれも定かではない。御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されるが、明治3年再開通し、今の通称代官町通りへと変遷する。・・・以下省略』
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東京国立近代美術館の前を西に代官町通り方面へと向かいます。

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