天草市 河浦町・天草コレジヨ庭園の桜

2019年 4月 1日   天草市 河浦町・天草コレジヨ庭園の桜
 町田川沿いに約100本の桜があるそうです。実際にはもっと多いのではと思わせる桜でした。県道35号線に入り、河浦支所方面に向かう一町田橋付近からは川沿いに約700mに渡って満開に咲く桜が眺められました。
 右岸の天草コレジヨ庭園付近、天草市河浦支所裏側にも素晴らしい桜が見られました。

町田川左岸(県道35号線沿い)の桜
kawaura19040131.JPG
kawaura19040103.JPG
kawaura19040105.JPG
kawaura19040132.JPG中間にある馬場橋からの眺め
kawaura19040108.JPG上流の桜
kawaura19040110.JPG
kawaura19040113.JPG対岸にコレジヨ庭園の桜も見えました。
kawaura19040114.JPG
kawaura19040116.JPG
kawaura19040118.JPG右岸の桜   
 右岸の天草市河浦支所駐車場に車を止めると、駐車場に沿って満開の桜が見られ、その一角に天草コレジヨ庭園があり、天草市河浦支所裏から続く桜も見事でした。
天草市河浦支所・図書館の駐車場から
kawaura19040119.JPG
kawaura19040123.JPGコレジヨ庭園
天草コレジヨ(Collegio De Amacusa)
 天草の町と呼ばれたここ河内浦には、当時わが国唯一の宣教師養成のためのコレジヨ(大神学校)が1591年から97年までの7年間存在した。その教育は、当時世界の名門校コインブラ大字のペトロ・コメス執筆の「天球論」が教材として使用されていることからもわかるとおり相当程度の高いものであった。またこのコレジヨには、1591年7月25日、その前年に帰国して豊臣秀吉にも面接した遣欧使節の四少年
達が、コレジヨ創設者ヴァリニヤーノ神父にともなわれて入校している。さらにこのコレジヨにはノビシアド(修練院)が併設されていて、そこでは遣欧使節等がヨーロッパから持参したグーテンベルグ式金属活字印刷機を使って、イソップ物語や平家物語、ラポ日辞典等文化史上世界的に注目される貴重本が多数印刷出版されている。』
kawaura19040122.JPG遣欧少年使節
 巡察師のヴァリニヤーノ神父は、日本におけるキリスト教を盛んにする為、大友義鎮・有馬鎮貴・大村純忠等の親戚にあたる伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアンの四人を選びローマに派遣した。彼らはメスキータ神父にともなわれ、1582年から8年をかけてヨーロッパ各地を廻り、殊にローマでは教皇グレゴリオ十三世およびシクスト五世の戴冠式に招待される等盛大な歓迎をうけた。この図は当時のドイツの新聞号外(京都大学附属図書館蔵)から取ったもので上段中央はメスキータ神父である。彼らが帰朝後当時のコレジヨに学んだことは注目すべきである。天草コレジヨ、天正少年使節にかかる史料は、天草コレジヨ館に展示されています。』
kawaura19040134.JPGkawaura19040124.JPG
kawaura19040126.JPG
kawaura19040127.JPG天草市河浦支所裏の桜
kawaura19040121.JPG
kawaura19040130.JPGルイス・デ・アルメイダ上陸地跡・南蛮船碇泊所跡 行く途中にこんな案内もあり。
『河内浦城主、天草鎮尚(ドン・ミゲル)は豊後(現大分)の領主、大友宗麟にならい海外貿易の拠点として、この地に南蛮船碇泊所を開き、南蛮貿易及びキリスト教伝導を目的として、博愛の神父ルイス・デ・アルメイダ(貿易商人、外科医師、宣教師)を招いた。
 ルイス・デ・アルメイダ神父は「永久運動」とニックネームのつくほど精力的な布教を西日本各地で続けたのち、河内浦に帰り、1583年年10月、五十九才で昇天した。永眠の地は、ここより800Mほど一町田中央寄りの信福寺境内(天草氏菩堤寺)であるといわれているが、墓標は持定されていない。』
kawaura19040133.JPG
場 所

 次のトラックバックには、より最新の記事、ならびに関連する記事がリンクされている可能性があります。 トラックバックがある場合は、表題部分をクリックしそちらもご覧願います。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント