宇土市 轟水源付近の梅(2019年-2)

2019年 2月22日   宇土市 轟水源付近の梅(2019年-2)
 轟御殿跡にある住宅前の接ぎ木をして長く伸ばされた梅は、まだ開花せず蕾が今にも咲きそうに色付いてきていました。轟水源近くの家々にはピンクの花を咲かせる梅が見頃に咲いていました。
 日本最古の現役上水道である轟泉(ごうせん)水道、今迄紹介していなかったようなので、見てみましたが、轟水源から市内船場付近(ここには井戸跡が船場川沿いに残っています。)まで、延長約4.8km、高低差4mで引かれているそうですから、その技術力にも驚かされます。
1軒目(轟御殿跡の住宅)の梅
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2軒目の梅
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3軒目の梅                                4軒目の梅
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5軒目の梅
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轟水源と轟泉(ごうせん)水道
 轟水源は、環境省「日本名水百選」に選定され、轟泉水道は日本最古の現役上水道だそうです。
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轟水源  (宇土市宮庄町)
 宇土半島の大岳系山塊や白山などに浸透した地下水が湧出しており、古くから飽田郡河内村鑪水(現熊本市西区)や合志郡御領村轟(現合志市)と並んで「肥後三轟水」と呼ばれていました。湧水量一日約6千トン(毎分約4千2百リットル)、水温約一八度。清冽甘味で、特にお茶に適しています。毎年7月20日には、轟泉簡易水道組合により水神祭が行われます。
轟泉水道の歴史
 寛文三(1663)年宇土藩(三万石)初代藩主細川行孝公が轟水源約3km離れた宇土の町まで上水道を敷設して以来、今なお使用されている日本最古の現役上水道です。我が国の上水道(明治時代以前)としては、18番目に造られたものでした。
 総延長は、約4.8km(本管約3.5km、支管約1.3km)で、当初は瓦質製樋管を使用していました。しかし、水漏れや濁りがひどくなったことから、敷設から約100年後の明和8(1771)年、宇土藩五代藩主細川興文公が、宇土半島網津に産するマ馬門石(阿蘇溶結凝灰岩)製の樋管に改修し、現在に至ります。
轟泉水道の仕組み
 轟水源(標高約8m)から末端の船場付近(標高約4m)までの高低差は、4mほどしかありませんが、様々な工夫が施されて送水を可能にしています。     ‘  ―
 地盤の高い所では約2mも掘り下げて樋管を据え、低い所では土手状施設である「塘」を造り、その上に樋管を通しています。また、所々に水圧調整や流れてきた砂などを溜める「枡」を配置しています。このようにして送られた水は、本管から支管へ、さらに井戸に流れ込み、その水を人々が汲み上げて使っていました。
 なお、水漏れなどの修理には、赤土や貝灰、塩、松枝や松葉の煮汁などで作られる「ガンゼキ」が現在でも使われています。水の中でも固まる優れた性質があります。』

場 所

                     
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