荒尾市 宮崎兄弟資料館の梅(2019年)

2019年 2月13日   荒尾市 宮崎兄弟資料館の梅(2019年)
 残念なことに満開は過ぎ花はだいぶ散ってしまっていました。樹齢250年~300年の白梅で大宰府より移し植えられたそうで、樹齢を感じさせるように幹は朽ちて穴が開いています。
 昨年まで見られた臥龍梅のような梅は枝が枯れ幹だけになっていました。近くにはボタンが若葉を出し始めており花の時期には楽しむことができます。滔天ゆかりの菩提樹も見る事ができます。 
『1913年(大正2年)3月19日、孫文が辛亥革命成功の御礼の為再来した際、宮崎家の家族と共に集合写真を撮った背景にあるのがこの梅の木である。
 樹齢250年~300年の白梅で、宮崎家の祖が菅原道真の血を引くと伝えられ、大宰府より移し植えられたという。現在でも春先には見事に白い花を咲かせ、たくさんの実をつける。歴史を証明する貴重な宮崎兄弟生家の宝物である。』
熊本県指定史跡  「宮崎兄弟の生家」
 宮崎家の祖は筑前三笠郡宮崎村の住人で、後肥前国佐嘉に移り鍋島候に仕えた。正保4年(1647年)正之が荒尾村に分家移住し荒尾宮崎の祖となる。子孫は代々細川藩に仕えて一領一疋の待遇を受けた。九代長兵衛正賢のとき、ゆれ動く明治維新の中で宮崎兄弟の行動は異彩を放った。
 長兄八郎は若くして熊本自由民権運動の先達となり文筆と行動にたけたが民権党を率いて西南の役にたおれた。
 民蔵は土地の天賦均享論を唱え百姓の使者と称して外国をまわった。土馳復権同志会の設立後土地の再配分運動に奔走したが失敗し孫文の中国革命に参画することとなる。
 弥蔵と滔天は人類平和の理想国家を中国に建設するため行動を起こしたが、弥蔵は病のため横浜で倒れた。滔天は孫文を助け清朝転覆に成功し中華民国の建国を見たが真の平和の日の訪れを見ずに大正11年12月6日波乱に満ちた52年の生涯を終わった。
 孫文は明治30年の秋に宮崎家に亡命し、民蔵の土地問題に対する考えに深い感銘を受けた。大正2年3月19日に中国建国を終えて、宮崎家の人々への感謝のため再び宮崎家を訪れた。日中両国の善隣友好とアジアの平和発展を考える場合、中国民衆のために生涯を捧げた宮崎兄弟の功は不滅であると言わねばならない。』 

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幹は朽ちて穴が開いています。
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滔天(とうてん)と孫文
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ボタン                                   菩提樹
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入り口と資料館前の梅
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場 所
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