芦北町 佐敷城址の桜
2009年 3月27日 芦北町 佐敷城址の桜
小高い山の上に佐敷城址があります。駐車場からの城址への上り口に桜がまとまって咲いていました。石垣は半分壊された感じですが、今でも城の面影を残しております。眼下に佐敷川、芦北の町を眺めることができ、展望の良い場所です。
城址から下りた所に、佐敷宿の通りがあり、昔の姿を残す建物も有りました。
現地説明
『加藤清正の重臣加藤与左衛門重次がここの城代を務めた。築城は天正17年(1588)ごろであろう。文禄元年(1592)豊臣秀吉の命令で朝鮮半島に出陣(文禄の役)したすきをつかれ、薩摩の梅北国兼に一時乗っ取られる事件(梅北の乱)が起こった。この後に第一回目の改築が行われている。慶長5年(1600)に関が原の戦いに関連して、島津軍に包囲される事件も起こった。この後大改築が行われ、本格的な近世城の姿になった。城の破壊は元和元年(1615)幕府の一国一城令によるが、寛永14年(1637)に起こった天草・島原の乱の後にも石垣が壊された。発掘調査で石垣の下部が確認され、桐紋の鬼瓦や「天下泰平」銘の鬼瓦など貴重な遺物が出土している。』
佐敷川緑地公園から佐敷城址を望む
城址の石垣
佐敷宿
『佐敷の町は古くから「薩摩街道」の要衝の地として栄えた城下町です。現在では歴史的な街割りや小路、九州では数少なくなった「のこぎり家並み」などが残っています。・・・・・』
場 所
城址には、佐敷中学校の方からぐるっと回り込む形で上ります。
次のトラックバックには、より最新の記事、ならびに関連する記事がリンクされている可能性があります。
トラックバックがある場合は、表題部分をクリックしそちらもご覧願います。小高い山の上に佐敷城址があります。駐車場からの城址への上り口に桜がまとまって咲いていました。石垣は半分壊された感じですが、今でも城の面影を残しております。眼下に佐敷川、芦北の町を眺めることができ、展望の良い場所です。
城址から下りた所に、佐敷宿の通りがあり、昔の姿を残す建物も有りました。
現地説明
『加藤清正の重臣加藤与左衛門重次がここの城代を務めた。築城は天正17年(1588)ごろであろう。文禄元年(1592)豊臣秀吉の命令で朝鮮半島に出陣(文禄の役)したすきをつかれ、薩摩の梅北国兼に一時乗っ取られる事件(梅北の乱)が起こった。この後に第一回目の改築が行われている。慶長5年(1600)に関が原の戦いに関連して、島津軍に包囲される事件も起こった。この後大改築が行われ、本格的な近世城の姿になった。城の破壊は元和元年(1615)幕府の一国一城令によるが、寛永14年(1637)に起こった天草・島原の乱の後にも石垣が壊された。発掘調査で石垣の下部が確認され、桐紋の鬼瓦や「天下泰平」銘の鬼瓦など貴重な遺物が出土している。』
佐敷川緑地公園から佐敷城址を望む
城址の石垣
佐敷宿
『佐敷の町は古くから「薩摩街道」の要衝の地として栄えた城下町です。現在では歴史的な街割りや小路、九州では数少なくなった「のこぎり家並み」などが残っています。・・・・・』
場 所
城址には、佐敷中学校の方からぐるっと回り込む形で上ります。
この記事へのコメント