玉東町 「篠原国幹戦死の地」の桜

2008年 4月 8日   玉東町 「篠原国幹戦死の地」の桜
『明治10年(1877)3月4日、薩摩軍一番大隊長篠原国幹は、緋裏の外套をまとい、.銀装の大刀を帯びて、率先陣頭に立って戦闘の指揮をとっていたが、顔見知りの同郷の後輩、近衛歩兵第一連隊第二大隊長江田国通少佐の指示する狙撃に合い東上の雄図空しくこの六本楠の地にて戦死した。一方狙撃を指示した江田国通少佐もまた、報復の念に燃える薩軍の銃弾によって戦死、薩軍の猛撃により、官軍は高瀬に敗退した。この戦闘は激しく、この日官軍が撃った小銃弾は数十万発だったといわれる。この日以後官軍は吉次峠のことを「地獄峠」と呼んだ。』と現地説明にありました。
 お墓の前に大きな桜が1本見事に咲いていました。ここから望める風景はのどかで、130年前の戦いが嘘のようです。

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