桜の季節に桜の三話題

 今年1月に飛騨の高山、白川郷をバスツアーで旅しましたが、その時にバスガイドさんが熱心に説明してくれた、桜に関する愛あふれるお話を紹介させて頂きます。
 バスの中で聞いただけでうろ覚えの感じですが、幸いなことにホームページで細かく紹介されていましたので、リンクしておきます。どうか詳細はそちらをご覧願います。(敬称は省略させて頂きました。)

荘 川 桜
 昭和28年、御母衣ダム建設計画がされ、「電源開発促進法」により、電源開発株式会社が設立。初代総裁になったのが高碕達之助である。高碕は単なる強制執行のような形は取らずに、地元住民と根気良く交渉・説得を進め、昭和34年に、「御母衣(みぼろ)ダム絶対反対期成同盟死守会」も解散、御母衣(みぼろ)ダムは着工完成しました。
 高碕は当時ダムに埋没する2つの寺(光輪寺と照蓮寺)の境内に植えられていた、樹齢450年の老いた桜をみて、将来住み慣れた土地を離れる人達の心の拠り所になればとも考えたのでしょうか、周囲の移植は無理だとの言葉にも耳を貸さず、私財を投げ打ってでもの決意で、2本の桜の移植を決定したそうです。

 考えるに単なる移植は、大型工事を手がける事業者だけに、掘って運んで植える作業は、それだけでも大変でしょうが、技術的なことで容易にできると思われます。しかし、老桜を枯らさずに後世に残すための木を生かすための努力が無ければ、今日の荘川桜を見ることはできなかったでしょう。高碕が移植作業の指揮を依頼したのが、日本随一の桜研究家として知られた、笹部新太郎です。
 バスガイドさんの話は、ここから、多分笹部新太郎の片腕となって、実際に老桜の世話をされた方ではないかと思いますが、当時日本一の庭職人と言われた丹羽政光の話になります。
老松は移植はされたものの、樹勢はいっこうにに戻らず、丹羽は根に若木の根を接ぎ根したり色々な努力をされたんだと思います。樹勢は戻っても桜の幹がくさる病気に侵されて、どんどん腐り始める。丹羽が最後の決断としてコールタールを桜の幹に塗りつけを実行し、桜は救われたのです。7年後に桜は見事に花を咲かせますが、丹羽は病に倒れ桜の開花を見ることなしに亡くなられました。  
 老桜が咲き、式典に集まった村人は咲いた二本の老桜にすがりつくように集り、いつまでも桜の下の輪を解こうとはしなかったとの事です。



荘川桜は江戸彼岸桜で、5月連休の時期に咲き多くの観光客が訪れるとの事でした。
車窓からの写真
 まだ、幹の腐れを防いだコールタールの黒い後も痛々しいです。
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御母衣(みぼろ)ダム 
 ダムは、土と岩を盛り立てて造った体積795万立方mにおよぶ世界有数のロックフィルダムです。ロックフィルダムはコンクリートダムと比較して経済的であり、基礎となる岩盤も良質でなくとも容易に築造できる利点から、近年では多くの大規模ロックフィルダムが造られていますが、我が国において、この先駆となったのが御母衣ダムです。(電源開発株式会社HPより転載)
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さくら道 太平洋から日本海につながる桜並木
 岐阜県白鳥町に生まれた佐藤良二。母親を早くに亡くし、父親の仁助に男手一つで育てられました。貧しい中でも「自分のことより社会の役になることをしろ。」を父の言葉として毎日を過ごしたようです。成人し国鉄に入社し、名古屋から金沢まで走るバス「名金線」の車掌となります。 
 バスで通る度に荘川桜の移植の現場も見られて影響も受けられたのでしょう。それと父からの教え。「何か世の中の人に喜んでもらえることを」で、自分が車掌をする「名金線」の沿線約260kmに桜の苗木を植えようと実行に移します。周囲の反対をよそに、自分の給料は桜を育てるのに使い、自宅では桜を育て、仕事の休日を利用して、5年間で約2000本の苗木を沿線に植えました。残念なことに病で志半ばで亡くなられましたが、今でもその志は同僚、家族に引き継がれて継続されているとの事です。
 荘川桜から高山寄りの沿線に、佐藤良二が植えた桜が札を付けられて地元の人達に大事に育てられています。何十年先かにこれらの桜がもっつもっと大きくなって人々の心を暖かにしてくれることでしょう。



この記事を掲載した後、3月26日の「くまにち.コム」に「荘川桜」の苗木が熊本県山江村に贈られたとの記事が載りましたので紹介しておきます。



小原の四季桜
 旅行の一番最初に、.明智光秀の生まれた明智町に「大正村」を訪ねました。明智町に着く少し手前で右に入っていくと、愛知県豊田市小原町で全町に11月~12月の冬場の時期に桜が咲きそろうとの事です。
 ホームページの紹介では、「その昔ひとりの医師が苗を植えたのが最初で、それが親木となり広まったといわれています。全国でも生息は珍しく、4月と10月~12月の2度花を咲かせます。」と説明されておりますが、これも良い話ですね。その当時は観光地化の意識などなしに、美しいものに引かれた住民が徐々に育て上げて来たものではないでしょうか。





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