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zoom RSS 荒尾市 宮崎兄弟資料館の梅が見頃でした。(2017年速報)

<<   作成日時 : 2017/02/18 10:36   >>

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2017年 2月15日   荒尾市 宮崎兄弟資料館の梅が見頃でした。(2017年速報)
 荒尾市 宮崎兄弟資料館の大宰府から移し植えられたという梅が満開前ですが見頃に咲いていました。
 南関町 古小代の里公園の梅は紅梅が見頃のはずなのですが、寒波で花が傷んでしまっていました。
 「南関御茶屋跡」とその背後の山にある「鷹ノ原城」にも上ってみました。国衆の城と思ったら加藤清正の家臣加藤正次が1600年に築いた城だそうですから、一国一城令により壊された城ですが一部石垣が見られ、当時の築城技術の高さを感じさせてくれました。
 各場所は、リンク記事の地図を参照願います。
荒尾市 宮崎兄弟資料館の梅
 大宰府から移し植えられたという梅の他に数本が見頃に花を咲かせていました。

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臥龍梅もあります。
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滔天(とうてん)と孫文の人形
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南関町 「古小代の里公園」の梅
 紅梅は咲いていたのですが、寒さで傷んでしまっており、昨年のような花を見ることができませんでした。白梅はまだ咲いていませんでした。
 3月4日、5日で「第17回 なんかん古小代の里 陶器・梅まつり」が開催され、その頃が白梅は見頃のようですが、今年は早いのではないでしょうか?

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 公園に来られていた方に聞くと「御茶屋跡」に行ってきたとのこと、行って見たいと思っていた場所ですので寄ってみました。
南関町 国指定史跡 豊前街道南関御茶屋跡
 お雛様が飾られており、お茶の接待をして頂きました。
国指定史跡 豊前街道南関御茶屋跡
 南関御茶屋は、嘉永三年(1850)八月に起工して、嘉永5年(1852)正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊した公館です。古文書によると、それまでの御茶屋(南関町公民館付近)が、古く狭い上に間取りが悪く、藩士休泊の時に混雑する、という理由でこの地に建て替えられました。財源の一部には富講の売上金が充てられました。
 建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、御三の間と配されており、屋根には細川家の九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。
 通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。南関御茶屋は熊本藩主細川家のみでなく、宇土細川家、人吉藩主相良家、薩摩藩主島津家も参勤交代の折にたびたび利用していることが記録に見えます。
 大政奉還後、国の所有となった御茶屋のほとんどは小学校や役場等の公的施設として利用されていきますが、その後の用途に応じた増改築等で御茶屋本来の姿を消していくことになります。南関御茶屋の場合は、明治二十年代には個人の所有となり、「御茶屋跡」として大事にあつかわれ、民家や料亭として利用されました。昭和三年七月十八日には南関町にゆかりの深い北原白秋の歓迎会がこの御茶屋で催されています。
 平成十五年八月二十七日に国の史跡として指定され、同年より国・県の補助事業として保存修理工事に着手し、平成十六年度末、往時の姿を取り戻すことになりました。』
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南関町 鷹ノ原城跡
 中世の城跡で土塁が残っているぐらいかなと思って上って行ったのですが、一部壊された石垣が見られ、技術の高さを感じることができました。
 御茶屋跡から上った小高い山にあり、本丸跡近くには西南の役の官軍墓地もありました。熊本地震で一部道路が損壊している部分もありましたので注意が必要です。
『南関城跡 (鷹ノ原城跡)
 南関町役場の北側ヽ標高100mの小高い台地を4本の大きな堀切が分断しています。城ノ原とよばれるこの地に南関城跡があります。南関城は、熊本城の一つでしたが、その縄張りの規模は、近世の宇土城跡や、肥前名護屋城跡に匹敵する大きさを持つ近世城郭でした。宝永3年(1706)に井沢幡龍が著した「南関紀聞」には、
慶長5年(1600)の関ケ原の戦い直後、加藤清正みずから「高原」に登って縄張りをしたという記載があリ、一国一城令によって廃城されたのは、元和元年(1615)と考えられます。平成7年度の調査では、大量の瓦片や鯱瓦片が出土し、間接的に瓦葺きの建築物の存在が証明されました。平成11年には本丸.西側斜面に残存高7m、築石段数21段の石垣が発見されました。また石垣以外に注目されたのが破城の痕跡でした。空堀底部に壊した石垣の石材を敷き詰めるように並べ、その上に土をかぶせて隠していることが判明したのです。その後も本丸隅櫓跡や新たな石垣面なとが検出されています。』
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城ノ原官軍墓地  西南の役で亡くなられた77名の将兵が葬られているそうです。
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場 所

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