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zoom RSS 宇土市 轟御殿跡の住宅の梅(2014年)

<<   作成日時 : 2014/03/02 05:00   >>

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2014年 2月19日   宇土市 轟御殿跡の住宅の梅(2014年)
 まだ早いだろうなと思いつつ寄ってみました。蕾は大きくなってきているもののまだ開花した花は見ることができませんでした。畑には花の咲いた梅が見られました。
 いつも通り過ぎてしまい。「轟貝塚」の紹介をしていなかったので掲載しておきます。

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細川家墓地
 轟御殿跡奥の上った所に宇土細川家の歴代藩主のお墓があります。
『宇土細川家の歴代藩主とその親族の墓地。宇土の細川家は、正保3年(1646)肥後54万石のうちから3万石を細川行孝(ゆきたか)公に分け与えられてできたものです。細川藩は、行孝公の父である細川立孝公(たつたか)(初代肥後藩主細川忠利公の弟)を藩祖初代とし、一般的には行孝公を宇土細川家第二代としています。轟泉水道の敷設、文教の振興に代表される行孝公・興文(おきのり)公(六代−月翁)のような歴代名君があり、七代立禮(たつひろ)公、九代立政公は、熊本の本藩を継いで、それぞれ肥後十代藩主細川斉茲(なりしげ)公、肥後十二代藩主斉護(よりもり)公となりました。明治3年に宇土細川藩は廃藩となりましたので、初代立孝公から最後の藩主である十二代行眞(ゆきざね)公までの七代・九代を除いた十人の藩主が葬られています。
 一代 立孝(たつたか)公  二代 行孝(ゆきたか)公  三代 有孝(ありたか)公  四代 興生(おきなり)公
 五代 興里(おきさと)公  六代 興文(おきのり)公   七代 立禮(たつひろ)公  八代 立之(たつゆき)公
 九代 立政(たつまさ)公  十代 行芬(ゆきか)公    十一代 立則(たつのり)公  十二代 行眞(ゆきざね)公』
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轟貝塚
 中世宇土城へ通り抜ける狭い近道を行くと、畑が一面に白い貝が敷き詰められた様子が見られます。ちょっと掘ると貝殻が埋まっているのだそうです。それにしてもすごい量です。長年かけて捨てられたのでしょうね!
轟貝塚
    所在地 宇土市宮庄町須崎・居屋敷
    指定区分 市指定史跡
概要
 今から約六千五百年前〜約四千年前の、縄文時代前期〜後期にかけての、九州地方を代表する貝塚遺跡。縄文時代の年代その他を推測する際の基準となる轟式土器の標識遺跡として知られる。
 大正時代の京都大学による発掘調査以来、昭和三十三年に肥後考古学会、昭和四十一年には慶応義塾大学などによって調査が行われている。調査によって土器や石器、骨角器などの貴重な遺物が数多く発見されており、装身具を着けた人骨も見つかった。
 轟式土器は、土器の表面をひっかいたようなものや、みみずばれのような粘土帯を表面に張り付けたものなどがあり、九州地方一円だけではなく山陰地方にまで分布tている。』
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場 所
 地図地点は「轟貝塚」の場所です。
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