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zoom RSS 山鹿市 鞠智城跡隣の赤米(2011年)

<<   作成日時 : 2011/09/19 07:04   >>

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2011年 9月12日   山鹿市 鞠智城跡隣の赤米(2011年)
 数日前にニュースで古代米の赤米が見頃とのことでしたので訪れてみました。丁度見頃だったようで、麦のように長く伸びた穂先の赤さが一際目立ちました。これから段々に黒くなってしまうので、ここ数日が見頃かもしれません。隣のまだ緑の水田との対比も同じ米とは思われません。いつも思うのですが、古代米というからもっと籾の数が少ないかなと思うのですが、りっぱな穂をしています。

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鞠智城後
『鞠智城は、7世紀後半(約1、300年前)に、大和朝廷が築いた山城です。当時、東アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は、友好国であった百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で、唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。そこで九州には、大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肆城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られました。鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。』
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鞠智城跡のモニュメント「温故創生之碑」について
鞠智城跡整備事業を記念して建立されました(財団法人・日本宝くじ協会の普及宣伝事業)。群像や、台座のレリーフ、万葉集の防人の歌は、鞠智城の歴史的背景を物語るとともに、日韓親善と、平和をイメージしています。
                                   碑名は、古閑三博氏の造語で碑文は同氏の毫筆。
一、群像
  防人    鞠智城の警護についた兵士です。任務に当たりながらも望郷の念に駆られ苦悩する青年をイメージ
         しています。

  防人    遠国の警護に赴く夫を見送る妻と子を表現しています。平和への祈りの意味を込めています。
  の妻子
  
  億}福留 鞠智城の築城を指揮したと思われる百済の貴族です。

  巫女    八方ヶ岳に祈っています。律令時代の女性風俗を表現しています。

  鳳凰    平和をイメージしています。         製作は、石原昌一氏。 

二、レリーフ
  大化改新       古代国家(律令時代)の出発点になった詔です。豪族の私地私民を廃して地方行政組織を
  詔発布(六四六年) 整備しました。戸籍や税の制度も整えました。
 
  百済滅亡       唐と新羅の両軍は、白馬江を遡って、百済の扶除城へ進軍しました。壮絶な戦いの後、
    (六六○年)   扶除城は落城しましたが、この時、残された後宮の宮女達は、崖渕の「落花岩」から
               白馬江に身を投げたと伝えています。

  白村江の戦い    百済から援軍の要請を受けた中大兄皇子は、水軍を送って、新羅を攻めましたが、白馬江
    (六六三年)   の河口、白村江で大敗しました。溺死するものが多く、逃げる余裕もなかったと「日本書
               紀」は伝えています。

  鞠智城の築城    中大兄皇子は、白村江の敗戦後、国家防衛の体制を整えました。その際、百済の貴族の
   (六六四年頃)   指導で、鞠智城を含めた古代山城が築かれました。    1

  鞠智城の異変    平安時代になると、鞠智城で幾つかの異変が起きたことが記録にあります。
   (八五八年)    兵庫(武器庫)の鼓が自鳴し、不動倉が火災を起こし、群烏が倉屋根の葦草を噛み抜く
              事件が次々と起こっています。

  米原長者伝説   鞠智城の廃城後、米原長者伝説が生まれました。畑地から多量の焼米が出土したからで
              す。夢に導かれて、京都から、お姫様が米原にやってきました。このお姫様を、炭焼き五郎
              という若者がお嫁に貰いましたが、その後、幸運が続いて大金待ちになっだという物語で
              す。
                                        制作は 石原昌一氏と門下生。

三、防人の歌
            父母が頭かき撫で幸く在れていひし言葉ぜ忘れかねつる
                 父母が頭を撫でながら達者でいなさいと言った言葉が忘れられない。
            わが妻も書にかきとらむ暇もか旅行く吾は見つつしのはむ
                 私の妻を絵に描く暇があったらなあ。旅に出ていく私は、それを持って、
                 いつも思い慕うものを。
            防人に行くは誰が夫と問ふ人を見るが羨しさ物思もせず
                 防人に行くのは誰の夫ですかと、聞いている人を見ると、羨ましくなりますよ。
                 なんの心配もしていないのだから。
                    歌文は、万葉集から選んだもので、兼城昌山氏の毫筆。』
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左側 億}福留                            右側 巫女
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山鹿市 鞠智城跡隣の赤米(2013年)
2013年 9月15日   山鹿市 鞠智城跡隣の赤米(2013年)  8月28日の「くまにち.コム」に色づく赤米、映える古代城 山鹿市・歴史公園とのニュースがあったので、見頃には遅いのは覚悟して寄ってみました。  やはり見頃は穂が出て直ぐですね!穂がぴんと伸びてヒゲのように伸びた芒[のぎ]が赤く見える時が一番の見頃です。  道路沿いには彼岸花も咲き始めていました。 2011年 鞠智城跡隣の赤米      道路沿いの彼岸花  田圃の下の道路沿いに彼岸花が咲き締めていました ... ...続きを見る
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