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zoom RSS 天草市 五和町御領地区のヒマワリ

<<   作成日時 : 2011/09/14 07:35   >>

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2011年 9月 9日   天草市 五和町御領地区のヒマワリ
 11月にヒマワリの花が見られるとのインターネット上の記事で、下見方々場所の確認を含めて訪ねてみました。花の無い時期に場所を見つけることは難しいだろうと、天草市役所五和支所経済係にお伺いすると住宅地図で丁寧に教えて頂きました。11月27日(日)の天草マラソン大会開催に合わせてその時期に花が咲くように、9月21日に種蒔きされるそうです。今年は高橋直子さんがスペシャルゲストだそうです。
 支所入り口に「御領組大庄屋 長岡五郎左衛門興就公」の像がありましたが、ヒマワリの咲く近くに神社があると聞いたので行ってみると、祈願に寄進された石の鳥居がありました。天草には鈴木代官等島民の苦しい生活を助けた偉人たちがおられるのですね!

天草は早場米の生産地、既に収穫の終わった田圃にヒマワリの種蒔きがされるようです。正確な場所も広さも分かりませんが国道324号線の両側に咲くヒマワリの花を想像してみてください。
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近くにはオクラ畑があり花が咲いていました。
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御領組大庄屋 長岡五郎左衛門興就公について
御領組大庄屋 長岡五郎左衛門興就公
 興就公は、天保三年(1822)父、興生公の死去により、十六歳で第十一代御領組大庄屋となりました。そのころの天草は、ひでり・作物病虫害・風水害・はやり病・大火などに加えて、幕府の取り立てる重い年貢米のほかに、諸経費として法外のお金を割り付けるなど、自然災・人災が容赦なく島民を苦しめたのです。永年に亘るこのようなくらしの惨状を憂えた興就公は、富岡代官所に出向いて島民の生活苦を訴え、救済方を再三に亘って願い出ましたが、代官所は聞き入れませんでした。 そこで、興就公は意を決して江戸へ上がり、弘化二年(1845)十二月、江戸幕府老中筆頭阿部正弘公の登城途中に「天草の百姓が安心して農作業を続けられ仕法(法律)を公布してほしい」と、幕府が厳しく禁じた「直訴」を命がけで行いました。その結果「天草百姓相続方仕法」が公布され、島民は大いに救われました。』
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天草市指定文化財  御領神社ニの鳥居     指定年月日  平成3年2月15日  所有者  御領神社
この鳥居は、十一代御領組大庄屋の長岡興就により奉納されたものである。興就は農民救済のため、当時ご法度である越訴を行い、「百姓相続方仕法」の再発布を懇願した人物である。その後、仕法は発布されたが、興就は越訴の罪を問われ入牢、その後一時帰宅を許されるが、弘化四年(1847)の一揆の後、首謀者である古江村庄屋の永田隆三郎と共に捕らえられ、四年後には大庄屋役を没収されている。
 興就は明治二年に没し、墓地は芳證寺境内にある。この鳥居は越訴の七年前に建立されたもので、柱に「願成就 長岡五郎三郎源興就」とあり、興就の悲願の程が伺える。』
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御領神社
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