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zoom RSS 荒尾市 宮崎兄弟の生家・滔天ゆかりの菩提樹

<<   作成日時 : 2011/06/19 06:43   >>

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2011年 6月15日   荒尾市 宮崎兄弟の生家・滔天ゆかりの菩提樹
 15日頃までは花が見られるとのこと、見られる時に見ておこうと思い雨の中再度訪ねてみました。『明治28年(1895)、宮崎滔天が中国革命の糸口を求めてシャム(現在のタイ国)に渡った際、土産に持ち帰ったものと伝えられる。平成16年(2004)、台風で根元より折損したものの、ひこばえを養生し育てたもの(3代目)毎年5月〜6月初旬にお香に似た高貴な薫りの可愛い薄黄色の独特の花を咲かせる。』ということです。
 ホームページ熊本の花を訪ねて 「宮崎兄弟の生家」で紹介されている、樹齢100年を超える菩提樹を今は見ることができませんが、その子孫が残り、ここまで育っていることを嬉しく思いました。残念なことに花は最後という感じでした。 

現地説明  熊本県指定史跡  「宮崎兄弟の生家」
『 宮崎家の祖は筑前三笠郡宮崎村の住人で、後肥前国佐嘉に移り鍋島候に仕えた。正保4年(1647年)正之が荒尾村に分家移住し荒尾宮崎の祖となる。子孫は代々細川藩に仕えて一領一疋の待遇を受けた。九代長兵衛正賢のとき、ゆれ動く明治維新の中で宮崎兄弟の行動は異彩を放った。
 長兄八郎は若くして熊本自由民権運動の先達となり文筆と行動にたけたが民権党を率いて西南の役にたおれた。
 民蔵は土地の天賦均享論を唱え百姓の使者と称して外国をまわった。土馳復権同志会の設立後土地の再配分運動に奔走したが失敗し孫文の中国革命に参画することとなる。
 弥蔵と滔天は人類平和の理想国家を中国に建設するため行動を起こしたが、弥蔵は病のため横浜で倒れた。滔天は孫文を助け清朝転覆に成功し中華民国の建国を見たが真の平和の日の訪れを見ずに大正11年12月6日波乱に満ちた52年の生涯を終わった。
 孫文は明治30年の秋に宮崎家に亡命し、民蔵の土地問題に対する考えに深い感銘を受けた。大正2年3月19日に中国建国を終えて、宮崎家の人々への感謝のため再び宮崎家を訪れた。日中両国の善隣友好とアジアの平和発展を考える場合、中国民衆のために生涯を捧げた宮崎兄弟の功は不滅であると言わねばならない。』 

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                                           鉄砲ユリやアジサイが咲いていました。
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宮崎兄弟の生家
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孫文と筆談する滔天の場面の人形                     宮崎兄弟資料館
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樹齢250年〜300年の白梅、大宰府より移し植えられたという。
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