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zoom RSS 益城町 木山城址公園の桜(2011年)

<<   作成日時 : 2011/04/05 07:24   >>

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2011年 4月 3日   益城町 木山城址公園の桜(2011年)
 秋津川河川公園の桜が見頃だったので、木山城址公園にも寄ってみました。しかし、こちらは見られるはずの桜が?あれ桜がちらほら咲いているだけ。どうしたのでしょう?寒さで蕾がつかなかったのでしょうか?お聞きすると鳥に蕾を食べられてもいるようです。桜に合わせて「弾正祭」も開かれるとのことで、会場の準備も整っていましたが、ちょっと寂しい花見になってしまうかもしれません。
『木山氏代々の居城とされ、天文十六年(一五四七)年に木山惟貞が赤井城を築城した後は、家老の竹崎筑後をはじめとした城代がおかれたとされる。夭正十三(一五八五)年九月十三日の木山神宮例祭の日に薩摩島津氏に攻められて赤井城と同時に落城したと伝えられるが、『新撰事蹟通考』には小西行長時代にも伊藤與左衛門が城代として入城した旨が記されている。なお、『阿蘇家文書』康永三(一三四四)年十月太宰少弐頼尚の書状から、木山城は「松丸城」と称せられた時期があったことがうかがえる。木山城は木山中心部に位置し、肥後進出を図る勢力にとっては政局を左右する要衝として幾度となく攻防が繰り返されていたといわれる。
 木山城跡は、「城の本」という字名を残す帯状形の丘陵地の末端部に位置する。丘陵の背面は大きく三区画に分かれており、中央部分に本丸と称される長方形状の高台が存在する。顕著な遺構としては、本丸の西側に竪堀の残存部を有する曲輪が存在し、民家の敷地内にも土塁と空堀が観察される。』

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下の桜は咲いているのに
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城の本古墳石棺 城址の一角に古墳の石棺がありました。
『城の本古墳は、4世妃末〜5世妃初項益城の平野部に北から突出た丘陵地形の端部に築造された推定墳径約11m、高さ約2.5mの円墳です。木山川の支流秋湯川を臨む中世城「木山城址」の北端部に立地しています。
昭和57年7月、豪雨により木山城北端の崖面が崩壊し石棺が露出したことからこの古墳か発見され、昭和58年に益城町教育委員会により発掘調査がおこなわれました。内部主体は、安山岩製板石で構成される箱式石棺で北西に主岫をとります。石棺内面には原赤色顔料か塗られでおり内部からは、副葬品の鏡・勾玉・管玉・布片と被葬者である男女の入骨が出土しています。鏡は直径9cm、重量79gの内行花文鏡で女性人骨の頭部左側より出土しました。鏡面には布片か多量に付着しており、布に包んで供献したものと思われます。勾玉は滑石製勾玉が12個、硬玉製勾玉か1個出土しています。管玉は碧玉製管玉が5個出土しています。これらの玉類は全て人骨の腕部分から出土していることから腕飾りに用いられたものと推定されています。被葬者である入骨は2体検出され、鑑定の結果若い成人男女と推定されています。出土遺物は町指定文化財に指定(昭和62年4月10日)され、益城町教育委員会に展示・保管してあります。』
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益城町 木山城址公園の桜(2014年)
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2014/04/25 06:22

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益城町 木山城址公園の桜(2011年) 熊本の花所/BIGLOBEウェブリブログ
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