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zoom RSS 熊本市 西の武蔵塚

<<   作成日時 : 2008/02/13 09:08   >>

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2008年 2月11日   熊本市 西の武蔵塚
現地説明
 『寛永17年(1640年)、藩主細川忠利に招かれて熊本に来た宮本武蔵は、五年後の正保2年(1645年)、千葉城跡の屋敷で亡くなった。62歳であった。遺言により、東郊の龍田町弓削に葬られたというのが通説である。
 この塚は、城下の西郊にあるところから、西の武蔵塚と呼ばれ、武蔵の高弟寺尾家の墓域である。死の直前の武蔵が寺尾求馬助に「兵法三十五箇条」を、その兄孫之丞に「五輪書」を授けて二天一流の正系を伝えたところから、愛弟子の墓域に葬られたという説も生まれてきたのだろう。
 武蔵は兵法の達人であるとともに、すぐれた芸術家で、その枯淡で風韻のある書画彫刻にその人格が偲ばれる。』


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島田美術館所蔵の宮本武蔵の肖像がレリーフにされていました。本物は是非島田美術館に寄って見たいですね!
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寺尾信行の墓
現地説明
 『宮本武蔵の高弟寺尾信行は武蔵の他界後、五輪の書に書かれた、五方の構え、太刀筋、五つのおもての次第のことを後世に伝える為、四男信盛に武蔵の新免姓を名乗らせ二天一流を継承させたが、江戸末期には野田派、山東派、山尾派の三流派にわかれ肥後細川藩門外不出として隆盛を極めた。その後野田派二天一流は現在も熊本で相伝されており、先師寺尾信行顕彰の機会に野田派二天会・・・・ 野田派二天一流 二天会』
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墓所前の梅の花
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下る途中の梅畑
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「西の武蔵塚」への道路脇の梅
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場 所
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コメント(2件)

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間違いを指摘
 たぶんですが、新免を名乗らせたのは5男では?
 それと、兵法三五ヶ条と五輪の書は書き上げた時期が違うし、三五ヶ条は五輪の書より数年前に細川忠利に献上したのでは?
R
2009/07/24 23:03
Rさん こんにちは。
 申し訳ありませんが、歴史のことはまったく分らないのです。そのため、現地にて説明されていた碑文をそのまま掲載させて頂きました。書としては殿様に献上されたのでしょうね!実際に相伝される人も必要だったと思われ、それに従って説明されているのではないでしょうか?
熊AVI
2009/07/25 10:13

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