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zoom RSS 拜聖院の立田山八重クチナシ

<<   作成日時 : 2007/06/17 06:34   >>

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2007年 6月14日  拜聖院の立田山八重クチナシ 
 立田山自然公園の紹介で、自生の八重クチナシは絶滅の危機にあると記載しましたが、大事に育てられている「立田山八重クチナシ」が立田山西山麓にある「拜聖院」にあります。ちょうど満開の時期で梅雨に濡れ、小振りで白い八重の花が綺麗に咲いていました。園芸用の八重クチナシと比べて花が小さく品があるようにも感じてしまいました。
 昭和天皇が熊本を訪れた折にも、「立田山八重クチナシ」の話題が出たそうですが、その当時は絶滅したと思われていたのでしょう。「拜聖院」から20株程度を移植したそうで、泰勝寺等に咲く花はその時のものとのことです。「拜聖院」にも幹回りの太いものもあったようですが、台風、日照不足等で絶えてしまったとのことでした。こうして保護されていることにほっと一安心するとともに、これからも守り育てられていくことを願わずにはおれません。

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国指定天然記念物 「立田山ヤエクチナシの自生地」における説明 (昭和4年4月2日指定)
 「立田山ヤエクチナシは、旧第五高等学校の浅井東一教授が大正9年(1920)に発見したものであり、立田山にある一重の野生クチナシの中に、自然に八重が生まれる環境が珍しいということで国の天然記念物に指定された。
 指定当時は20株ほどのヤエクチナシが存在していたが、樹木の濫伐等によりそのほとんどが失われ、一時絶滅が伝えられた。その後昭和44年にヤエクチナシの存在が再確認されたため、その区域を特別保護区域とした。現在は、その固体の所在が再び不明となったため、特別保護区を中心として環境保全を図りながら着花調査などを進めている 平成18年11月」

日本の赤十字活動発祥の地
 西南の役で戦傷者を分け隔てなく治療した、細川藩医師団の中心となった鳩野宗巴が拜聖院に避難しており、ここに医師が結集したことから「日本の赤十字活動発祥の地」と言われているようです。
「細川藩医師団の赤十字活動について」(現地説明)
 「明治元年(1868)維新戦争の時、明治政府は横浜に英国の軍医ウイリアム・ウイルスを院長に軍事病院を設けて戦傷者の洋式医療に当てたが細川藩は鳩野宗巴を五ヶ月間、同所に派遣して治療と修業に当たらせた。
 この時に西洋医学と共に、当時ヨーロッパで設立された国際赤十字(1863年スイスに設立)の敵、味方や身分、貧富等も一切差別しない医師としての博愛精神を欧米の医師たちから学んだと思われる。
 明治十年、西南戦争の時は鳩野宗巴は妙体寺町に医院活人堂、病室養生軒、医学塾亦楽舎を構えて有名であったが、2月19日、熊本城天守閣の炎上の時に、上林、上通、坪井と延焼、鳩野家も全焼。
 同家は明治維新の折の廃仏毀釈騒ぎで廃庵になっていた当拜聖庵跡に避難した。2月23日、池辺吉十郎から攻城戦での戦傷者の治療を依頼された宗巴は、官軍、薩軍の別なく治療する事を条件に承諾した。
 藩医 河喜多宗磧、黄玄風、原田早春、村上又五郎、松岡独醒庵、狩野庄馬、村井同吉らと8名で早速治療を開始、戦傷者の増加で病室が手狭になると近くの梅木小学校、亀井の光照寺、民家41戸を借り上げて、.同所には桑島見龍、松田喜福、池邊健寿、林強の4医師を置いて治療した。然も皆自費で行った崇高な医療活動である。又、同地の婦人達は競って看護に協力、我が国で初めての戦陣での組織的な女性の看護活動が行われた。
 4月15日、薩摩軍が御船、矢部と転戦すると、熊本隊、協同隊、龍口隊も全員が行を倶にして人吉、鹿児島、宮崎の各地で戦ったが、松岡独醒庵、狩野庄馬、村井同吉は陣中医として同行、8月17日延岡の長井村で党薩諸隊の全軍解隊として降るまで、傷病兵の治療看護を続けた。
 これは、日本赤十字活動のはじまりといわれる、佐野常民、大給恒が官の裁可を得て博愛社を設立し治療を開始した5月27日より94日も前のことであった。」 と説明されています。
入口にある鳩野宗巴の銅像                          「西南の役 細川藩医師結集の地」の碑
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由比正雪の腰掛石
 由比正雪は寛永12年(1635年)頃、拜聖庵に止宿したそうで、正雪が腰を掛けたと伝えられる石が裏山に残っています。
 現地説明には、「拜聖院の裏山に由比正雪腰掛石と伝えられる岩がある。正雪は駿河国由比の人で楠正成に心酔した軍学者(1605−51年)。将軍家光の死後、幕府転覆を企て露見して自刃した。島原の乱(1637年)の首謀者の一人森宗意軒と天草で会ったと「慶安太平記」にあり、当地を訪れたのは20歳代か。明治十年頃の鳩野家色紙にこの腰掛石を描いたものがあり、石工がこれをげんのうで割ろうとしたところ石は割れず石工が怪我をした、これは正雪のたたりであろうと村人が噂したと記されている。この石に刻まれている文字「槐安」は中国唐代の伝記書にあり、我が国では後醍醐天皇が笠置山で楠正成を夢見たことを指す。この文字には幕府の治世を改めて「上下の困窮を救う」と遺書に書き残した正雪の夢が込められていると推測される。」とあります。
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熊本市指定保存樹木 コナラ、ヒガンザクラ
 立田山八重クチナシの奥に、熊本市指定保存樹木のコナラが良く手入れされた樹形で鎮座しています。
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